千鳥ヶ淵の桜並木で有名な東京・九段下エリアに、かつて格式高いクラシックホテル「フェアモントホテル」が存在していたことをご存知でしょうか。1951年の開業から2002年の閉館まで、半世紀以上にわたって多くの人々に愛され続けたこのホテルは、松任谷由実の名曲「経る時」のモチーフとなったティールームでも知られています。毎年春になると「千鳥ヶ淵の桜が咲きはじめました」という小さな新聞広告を出していたことも、当時を知る人々の記憶に深く刻まれています。
現在、このホテルの跡地には「パークマンション千鳥ヶ淵」という超高級マンションが建っており、一部の住戸は10億円を超える価格で取引されています。また、2025年7月には芝浦エリアに新たな「フェアモントホテル東京」の開業も予定されており、フェアモントの名が再び日本のホテル業界に戻ってくることになります。この記事では、千鳥ヶ淵フェアモントホテルの歴史から現在の姿、そして新たなフェアモント展開まで、詳しくご紹介していきます。
この記事のポイント |
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✅ 千鳥ヶ淵フェアモントホテルの歴史と閉館までの経緯が理解できる |
✅ 松任谷由実の楽曲「経る時」との関係や桜の名所としての魅力がわかる |
✅ 跡地に建設された超高級マンションの詳細情報を把握できる |
✅ 2025年開業予定の新フェアモントホテル東京について知ることができる |
千鳥ヶ淵フェアモントホテルの歴史と現在の姿
- 千鳥ヶ淵フェアモントホテルは2002年に閉館し現在は超高級マンションになっている
- 1951年にGHQの要請で開業した格式高いクラシックホテルだった
- 松任谷由実の名曲「経る時」のモチーフとなったティールームがあった
- 毎年春の桜開花を告げる新聞広告が名物だった
- 小松ストアーが運営していた171室のホテルだった
- 2004年にパークマンション千鳥ヶ淵として生まれ変わった
千鳥ヶ淵フェアモントホテルは2002年に閉館し現在は超高級マンションになっている
千鳥ヶ淵にあったフェアモントホテル(正式名称:フェヤーモントホテル)は、2002年1月27日に惜しまれながら閉館しました。51年間という長い歴史に幕を下ろした主な理由は、建物の老朽化でした。1951年の開業から半世紀以上が経過し、現代のホテル基準に合わせた大規模改修を行うよりも、建て替えを選択する時代の流れもあったと考えられます。
閉館が決まった際には、多くの常連客や地元住民、そして松任谷由実のファンから惜しむ声が上がりました。特に、長年ホテルを利用してきた顧客にとって、歴史ある建物が消えることは大きな寂しさを感じる出来事でした。最後の営業日には多くの人がホテルを訪れ、思い出の場所として写真を撮ったり、ティールームで最後のお茶を楽しんだりする姿が見られたそうです。
現在、その跡地には**「パークマンション千鳥ヶ淵」という超高級マンション**が建っています。2004年に竣工したこのマンションは、三井不動産が「日本が誇れる最高グレードのマンション」というコンセプトで開発した物件です。フェアモントホテルが提供していた千鳥ヶ淵の眺望や立地の良さを継承しつつ、より現代的な住空間として生まれ変わりました。
ホテルの閉館は一つの時代の終わりを意味していましたが、建物こそなくなったものの、人々の記憶の中に、そして松任谷由実の楽曲を通じて、フェアモントホテルの魅力は今も生き続けています。千鳥ヶ淵の桜を愛でながら過ごした特別な時間は、多くの人にとってかけがえのない思い出となっているのです。
🏢 フェアモントホテル基本情報
項目 | 詳細 |
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正式名称 | フェヤーモントホテル |
開業年 | 1951年(昭和26年) |
閉館年 | 2002年(平成14年)1月27日 |
営業期間 | 51年間 |
客室数 | 171室 |
所在地 | 東京都千代田区九段南2-1-17 |
1951年にGHQの要請で開業した格式高いクラシックホテルだった
フェアモントホテル千鳥ヶ淵は、第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の要請によって開業しました。当時の日本には国際基準を満たす宿泊施設が極めて少なく、戦後復興の一環として、増加する外国人来訪者に対応するための施設として設立されたのです。千鳥ヶ淵という風光明媚な場所が選ばれたのも、外国人ゲストに日本の美しい景観を紹介する絶好のロケーションだったからです。
ホテルの設計は、当初から外国人宿泊客向けに考えられており、客室のデザインやホテル内装も海外の訪問者に合わせたクラシックなスタイルが特徴的でした。スタッフのホスピタリティ教育も徹底され、国際的な基準でのサービスが提供されていました。これにより、フェアモントホテルは当時の日本のホテル業界にとって新しいスタンダードを築き上げた施設といえます。
1960年代には東京オリンピックを控え、施設の増築や改装も行われました。資料によると、1962年に本館南側半分を取り壊して6階建てのビルを建設し、その完成後に北半分を増築して対応したとあります。1972年(昭和47年)には207室を擁するホテルへと成長していたことからも、時代の要請に応じて着実に発展していったことがわかります。
興味深い点として、フェアモントホテル千鳥ヶ淵の運営主体は**「小松ストアー」という会社**でした。この会社は銀座5丁目に「銀座コマツ」というファッションビルを持つ企業で、もともとは百貨店が本業だったとされています。百貨店業を主としながら、副業としてこのホテルを経営していたというユニークな背景があったのです。
📊 開業当時の時代背景
時期 | 主な出来事・特徴 |
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1951年 | GHQの要請でフェアモントホテル開業 |
1962年 | 本館南側を改築(6階建て) |
1964年 | 東京オリンピック開催 |
1972年 | 207室規模に拡張完了 |
松任谷由実の名曲「経る時」のモチーフとなったティールームがあった
フェアモントホテル千鳥ヶ淵は、日本を代表するシンガーソングライター松任谷由実(ユーミン)の楽曲「経(ふ)る時」のモチーフとなった場所として広く知られています。この曲は、1983年のアルバム「REINCARNATION」に収録されており、千鳥ヶ淵の美しい桜と、ホテル内の「ブラスリー・ドゥ・ラ・ヴェルデュール」というティールームでの静かなひとときを描写しています。
「経る時」の歌詞には、**「窓ぎわでは老夫婦が ふくらみ出した蕾をながめてる」「二度と来ない人のことを ずっと待ってる気がするティールーム 水辺に散る桜を見に さびれたこのホテルまで」**などの一節があります。特に有名なのが「4月ごとに 同じ席は うす紅の砂時計の底になる」というフレーズで、桜吹雪のように舞い散る花びらがあたかもピンク色の砂時計のようだと表現した、ユーミンの代表的な歌詞のひとつとなっています。
「ブラスリー・ドゥ・ラ・ヴェルデュール」からは、千鳥ヶ淵の水面と桜並木が一望でき、特に春の桜の季節には絶景でした。窓際の席に座ると、まるで絵画のような風景が広がり、時間がゆっくりと流れているような感覚を味わうことができました。コーヒーや紅茶とともに、季節のケーキやサンドイッチなどの軽食も提供され、都会の喧騒を忘れさせる静かな空間として多くの人に愛されていました。
ティールームの名前「ブラスリー・ドゥ・ラ・ヴェルデュール」は、フランス語で「緑の景色のブラッスリー(レストラン)」といった意味合いと考えられます。四季折々の景色が楽しめる場所でしたが、特に桜の季節には特別な場所として人気を集めました。ユーミンがこの曲を作曲した背景には、おそらく新聞に掲載されていた桜の開花を知らせる広告を見て訪れたという可能性も考えられます。
🎵 「経る時」関連情報
項目 | 詳細 |
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アルバム名 | REINCARNATION(リインカーネーション) |
発売年 | 1983年 |
ティールーム名 | ブラスリー・ドゥ・ラ・ヴェルデュール |
有名な歌詞 | 「4月ごとに 同じ席は うす紅の砂時計の底になる」 |
毎年春の桜開花を告げる新聞広告が名物だった
フェアモントホテル千鳥ヶ淵の名物の一つが、毎年春になると掲載していた「千鳥ヶ淵の桜が咲きはじめました Fairmont Hotel」という小さな新聞広告でした。1980年(昭和55年)から閉館する2002年(平成14年)までの間、朝日新聞の社会面に掲載されていたこの質素でありながら情緒あふれる広告は、春の訪れを告げる風物詩として多くの人々に親しまれていました。
この広告はシンプルでありながら強い印象を与えるもので、桜の季節を楽しみにしている人々にとっては、見逃せない情報源となっていました。商業的な要素を前面に出さず、ただ桜の開花を知らせるだけという控えめなメッセージが、かえって人々の心に深く響いていたのです。松任谷由実もこの広告をきっかけにホテルを訪れ、後に「経る時」の楽曲を生み出すインスピレーションを得た可能性もあるでしょう。
興味深いことに、ホテルが閉館した後も、この広告の伝統は続きました。千代田区がスポンサーとなり、同じ文言とレイアウトで広告を掲載していたのです。書体が微妙に異なっていたものの、内容やデザインはそっくりそのまま引き継がれていました。これは千代田区の粋な計らいとして、多くの人に喝采を送られました。文化や伝統を大切にする姿勢が表れた素晴らしい取り組みだったといえるでしょう。
しかし残念なことに、千代田区による広告も、いつの間にか見かけなくなってしまったようです。現在では、SNSやウェブサイトなど、桜の開花情報を得る手段が多様化したこともあり、新聞広告という形での情報発信は減少している可能性があります。それでも、「千鳥ヶ淵の桜が咲きはじめました」という短いフレーズには、季節の移ろいを感じさせる詩情があり、多くの人の記憶に残り続けています。
この小さな広告は、ホテルの宣伝というよりも、季節の便りとして機能していました。商業的な要素を前面に出さず、桜という日本文化の象徴を通じて人々とつながろうとしたフェアモントホテルの姿勢は、現代のマーケティング手法にも示唆を与えるものがあります。
📰 新聞広告の変遷
期間 | 掲載者 | 特徴 |
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1980年-2002年 | フェアモントホテル | オリジナルの広告 |
2002年-不明 | 千代田区 | ホテル広告を引き継ぎ |
現在 | なし | 広告は見かけなくなった |
小松ストアーが運営していた171室のホテルだった
フェアモントホテル千鳥ヶ淵の運営を手掛けていたのは、「小松ストアー」という百貨店業が本業の会社でした。この会社は銀座5丁目のファッションビル「銀座コマツ」がメインの事業で、もともとは百貨店が本業だったため、副業としてこのホテルを経営していたという珍しい背景があります。百貨店とホテル業という異なる業界での事業展開は、当時としても興味深い経営スタイルだったといえるでしょう。
ホテルは171室を擁する中規模のクラシックホテルとして運営されていました。都内屈指の眺めの良い立地にあり、格式高いクラシックホテルとして多くの人に親しまれていました。その特徴の一つは、立地の良さと日本庭園を思わせる周辺環境でした。東京の中心にありながら、千鳥ヶ淵のお堀沿いという静かな場所に位置していたため、訪れる人々にとって特別な時間を過ごせる癒しの空間となっていました。
歴史ある建物のデザインと相まって、温かみと重厚感が漂う雰囲気が、訪れる人々に安らぎと贅沢なひとときを提供しました。高品質なサービスと共に、伝統を大切にした施設設計が、時代を超えて愛され続ける理由だったといえるでしょう。スタッフの多くは長年にわたってホテルに勤め、リピーターとなる顧客との信頼関係を築いていたといわれています。
現在でも小松ストアーの公式ブログには、フェアモントホテルについての記事が掲載されており、ホテルに置かれていた柱時計は銀座コマツ西館内にある会員制バー「KOMATSU BAR」に健在とのことです。建物がなくなっても、ホテルの記憶を大切に保存し続けている姿勢が見て取れます。
🏨 ホテル運営体制
項目 | 詳細 |
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運営会社 | 小松ストアー |
本業 | 百貨店業(銀座コマツ) |
客室数 | 171室 |
ホテルタイプ | クラシックホテル |
遺品 | 柱時計(KOMATSU BARに保存) |
2004年にパークマンション千鳥ヶ淵として生まれ変わった
フェアモントホテル千鳥ヶ淵の閉館後、その跡地には2004年(平成16年)4月に「パークマンション千鳥ヶ淵」という高級マンションが竣工しました。この再開発は、老朽化により営業を終了したホテルの建物を取り壊した後、千鳥ヶ淵の景観を活かす形で進められました。パークマンション千鳥ヶ淵は、フェアモントホテルが持っていた桜や千鳥ヶ淵の眺望を取り入れ、住民が四季の移ろいを楽しめるよう設計されています。
このマンションは、三井不動産が「日本が誇れる日本で最高グレードのマンション」というコンセプトで開発しました。設計を手掛けたのは数々の受賞実績を持ち、日本を代表する建築家内藤廣氏です。内藤氏は新国立競技場の設計競技の最終候補にも残った実力派の建築家であり、その参加は建物のクオリティの高さを示すものとなっています。
建物の基本仕様としては、鉄筋コンクリート造の地上15階・地下2階建てとなっています。総戸数は64戸と、比較的少ない戸数で構成されており、1戸あたりの専有面積もゆとりあるものになっています。専有面積は最小が53.4㎡から最大で335.1㎡まで、様々なタイプの住戸が用意されていますが、特に120㎡~160㎡を中心とした広めの住戸が多く設定されています。
パークマンション千鳥ヶ淵の特徴として、大型ピクチャーウインドウズを採用していることが挙げられます。これにより、春に咲き誇る華麗な桜や千鳥ヶ淵の青々とした景色を贅沢に堪能できるようになっています。かつてのフェアモントホテルのティールームから見えた景色を、住居として日常的に楽しめるようになったわけです。まさに「水辺のプライベートレジデンス」という言葉がぴったりの住環境を実現しています。
🏢 パークマンション千鳥ヶ淵概要
項目 | 詳細 |
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竣工年 | 2004年4月 |
構造 | 鉄筋コンクリート造 |
階数 | 地上15階・地下2階建て |
総戸数 | 64戸 |
専有面積 | 53.4㎡~335.1㎡ |
デベロッパー | 三井不動産株式会社 |
施工会社 | 鹿島建設株式会社 |
設計監修 | 内藤廣氏 |
千鳥ヶ淵フェアモントホテル跡地のマンションと新たなフェアモント展開
- パークマンション千鳥ヶ淵は三井不動産が手掛けた最高級マンション
- 著名人も住む超高級マンションで価格は数億円から
- 天井高3.5m〜3.9mの贅沢な空間設計が特徴
- 2025年に芝浦でフェアモントホテル東京が開業予定
- フェアモントは世界的なラグジュアリーホテルブランド
- 千鳥ヶ淵周辺は現在も桜の名所として多くの人が訪れる
- まとめ:千鳥ヶ淵フェアモントホテルの遺産は今も生き続けている
パークマンション千鳥ヶ淵は三井不動産が手掛けた最高級マンション
パークマンション千鳥ヶ淵の開発にあたって、三井不動産は**商品企画において「東京の中心にありながら深い緑に囲まれた稀少性の高い立地に、『日本が誇れるマンション』をコンセプトに、ハード面・ソフト面において最高レベルを極めることを目指した」**と発表しています。このコンセプトは、デザイン、機能性、サービスなど、あらゆる面で最高水準を追求するという姿勢の表れでした。
特に注目すべきは、「現代の『匠』の技」を積極的に取り入れたことです。共用部においては、「石匠」、「左官職人」、「漆工」など、一流の職人による仕上げを施しました。具体的には、瀬戸内海大島産の御影石を使用し、一枚岩を重ねた石舞台のような作りのメインエントランスや、土を突き固めて地層状に造り上げる版築壁と築地壁を採用したロビー、そして鮮やかな朱が印象的な漆塗りの羽目板を施したエレベーターホールなど、日本の伝統技術と現代の建築技術が融合した空間づくりがなされています。
この物件の開発にあたっては、「若手の建築家・デザイナーの発掘」「お客様・デベロッパーと、これら建築家・デザイナーとの新しい関係」を探る機会としても位置づけられました。新建築社と共催で実施した「第1回住空間デザインコンペ」(応募作品416点)を開催し、最優秀受賞作品であった廣田敬一氏(廣田デザイン事務所)監修のモデルルームを公開するなど、新しい試みも行われました。
マンションの間取りも特徴的です。全室通じる内廊下がゆとりをもって設計され、間取りも単なる四角形ではなく、変形した仕様となっています。一般的なマンションでは経済合理性を優先して、コストをかけずに居室の広さを確保するために長方形の居室や間取りが採用されることが多いですが、パークマンション千鳥ヶ淵では複雑な矩形の間取りを採用しています。これには設計者の強いこだわりが感じられ、空間に遊びとゆとりをもたらしています。
交通アクセスとしては、東京メトロ半蔵門線・東西線・都営地下鉄新宿線の「九段下」駅から徒歩8分という好立地です。都心にありながら緑豊かな環境に恵まれているという、稀有な立地条件を持っています。この立地は、かつてのフェアモントホテルと同様に、千鳥ヶ淵の景観を最大限に活かすことができる場所です。
🏗️ 建築の特徴
項目 | 詳細 |
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メインエントランス | 瀬戸内海大島産御影石の一枚岩仕様 |
ロビー | 版築壁と築地壁を採用 |
エレベーターホール | 漆塗りの羽目板 |
間取り | 変形した矩形デザイン |
内廊下 | ゆとりのある設計 |
著名人も住む超高級マンションで価格は数億円から
パークマンション千鳥ヶ淵は、その立地の良さや設備の充実度から、数々の著名人が住居として選んできたとされています。情報によると、読売巨人軍のオーナーとして知られる渡辺恒雄氏や、全盛期の小室哲哉氏などが居住していたとの噂があります。こうした著名人が選ぶことからも、このマンションの価値の高さがうかがえます。
価格面では、2003年の販売開始時には1億6200万円~13億5000万円(最多販売価格帯は4億4000万円台)という設定でした。東京カンテイの資料によれば、当時の価格で1戸あたりの平均価格が3億2962万円という超一級マンションだったことがわかります。中でも上層階の大型住戸は、1戸10億円を超える価格で取引されたといわれています。このような価格設定は、当時でも都内の超高級マンション市場において最高水準のものでした。
このマンションはその後も高い資産価値を維持していると考えられます。LIFULL HOME’Sの不動産アーカイブによると、2017年12月から2022年2月までの間に確認された賃貸情報では、月額賃料が85万円から175万円の範囲で推移しています。これは都心の超高級マンションとしては相応の水準といえるでしょう。
物件の評判も非常に高く、ネット上の口コミなどでは**「千鳥ヶ淵を見渡せる景観の素晴らしさ」や「共用部の高級感」**などが高く評価されています。また、立地に関しても「東京メトロ半蔵門線、東西線が乗り入れている九段下駅に近く、とても便利。駅周辺には、区役所・税務署・法務局あり、所々手続きをする上で短時間で済む」などの声が見られます。
興味深いのは、パークマンション千鳥ヶ淵の購入層です。三井不動産の発表した事前来場者特性によると、**居住地は港区が33%、千代田区が11%、世田谷区が11%、その他23区が34%**となっています。年齢層は50歳台が33%、40歳台が23%、60歳台が18%と、比較的年齢層の高い人たちを中心に関心を集めていたことがわかります。また、家族数は2人世帯が36%と最も多く、3人世帯が24%、4人世帯が21%と続いており、ファミリー層にも人気があったといえるでしょう。
💰 価格・賃料情報
項目 | 詳細 |
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販売価格(2003年) | 1億6200万円~13億5000万円 |
最多価格帯 | 4億4000万円台 |
平均価格 | 3億2962万円 |
最高価格 | 10億円超 |
賃料相場(2017-2022年) | 85万円~175万円/月 |
天井高3.5m〜3.9mの贅沢な空間設計が特徴
パークマンション千鳥ヶ淵の最も特筆すべき特徴の一つが、その圧倒的な天井高です。一般的なマンションの天井高が2.4m~2.6m程度であるのに対し、このマンションでは3.5m~3.9mという驚異的な高さを実現しています。さらにリビングの天井高は約2.7m~3mに設定されており、まるで高級ホテルのスイートルームのような開放感あふれる空間となっています。
この贅沢な天井高は、住居空間に豊かなゆとりと開放感をもたらすだけでなく、千鳥ヶ淵の景色を大きな窓を通して存分に楽しむための工夫でもあります。特に桜の季節には、高い天井と大きな窓によって、満開の桜並木を室内にいながらにして堪能することができる設計になっています。
内装にも特別なこだわりが見られます。例えば、各住戸には千鳥ヶ淵公園が望めるユーティリティバルコニーが設けられているほか、ワインセラーが常設されているなど、贅沢なライフスタイルを支える設備が充実しています。また、バスルームには円形バスタブが導入されていることも特徴的です。近年は超高級マンションでもユニットバスやセミユニットバスが主流となっていますが、あえて円形バスタブというこだわりを持たせることで、より上質な住空間を実現しています。
共用部の内装にも、ホテルのような高級感があふれています。先述のとおり、ロビーやエントランスには伝統工芸の技術を取り入れた仕上げが施されており、「石」「土」「漆」といった自然素材を用いた一流職人による特別な空間が広がっています。これらの素材は時間とともに風合いが増していくため、竣工から20年近く経った現在でも、その美しさは衰えることなく、むしろ深みを増しているのではないでしょうか。
建物の外観にも特別な配慮がなされています。**連なった大きなガラス窓が桜並木との一体感を生み出す「近景」と、天然石とガラスのコントラストで構成されたファサードが大きな鏡となって水面と四季の移ろいを写し出す「遠景」**の両方を意識した設計となっています。自然や地歴といった付加価値に加え、建物自体が作りだす計算された存在感が、千鳥ヶ淵という特別な場所にふさわしい建築物となっています。
🏠 空間設計の特徴
項目 | 一般的なマンション | パークマンション千鳥ヶ淵 |
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天井高 | 2.4m~2.6m | 3.5m~3.9m |
リビング天井高 | 2.4m程度 | 2.7m~3m |
バスタブ | ユニットバス | 円形バスタブ |
特別設備 | なし | ワインセラー常設 |
バルコニー | 一般的 | ユーティリティバルコニー |
2025年に芝浦でフェアモントホテル東京が開業予定
千鳥ヶ淵のフェアモントホテルは閉館してしまいましたが、「フェアモント」の名を冠したホテルが日本に再び登場する計画が進んでいます。2025年7月1日(火)、東京都港区芝浦・浜松町エリアに誕生する「ブルーフロント芝浦(BLUE FRONT SHIBAURA)」に、「フェアモントホテル東京」が開業する予定です。これは、ラグジュアリーホテルブランド「フェアモント」の日本初進出となります。
フェアモントホテル東京は、アコーグループにとって国内初のラグジュアリーホテルとなります。東京港から東京都心までのパノラマビューが広がる上層階に展開し、スイートを含む全219室のゲストルームを備える予定です。また、3つのレストランとバー、スパ、フィットネスセンター、プール、バンケット、カンファレンス、チャペルなども設置される計画です。
このホテルの総支配人には、アジア太平洋地域で長年リーダーシップを発揮してきたカラン・シン氏が就任予定とされています。シン氏の豊富な経験と情熱が、フェアモントホテル東京の成功を支える大きな役割を担うことが期待されています。シン氏の指導のもと、日本におけるフェアモントの新しいスタンダードが構築され、国際的な水準のサービスと日本独自のホスピタリティを融合させた特別な体験が提供される予定です。
「芝浦プロジェクト」と呼ばれるこの再開発計画は、東芝本社があるエリアで進められているもので、複合ビルの高層階に外資系のホテルが入る形となります。このプロジェクトは、東京の新たなランドマークとなることが期待されており、フェアモントホテルはその象徴的な存在となるでしょう。
かつての千鳥ヶ淵のフェアモントホテルとは異なり、新しいフェアモントホテル東京は公式にフェアモントブランドを冠した正式な施設となります。千鳥ヶ淵のフェアモントホテルは、実はカナダのラグジュアリーホテルブランド「フェアモント」とは関係がなかったという説もあります。日本語表記も「フェヤーモントホテル」と若干異なっていました。しかし、新たに開業するフェアモントホテル東京は、世界的なフェアモントブランドの一員として、本物のラグジュアリーホテル体験を提供することになります。
🏨 フェアモントホテル東京概要
項目 | 詳細 |
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開業予定日 | 2025年7月1日 |
立地 | 港区芝浦・浜松町エリア |
客室数 | 219室(スイート含む) |
総支配人 | カラン・シン氏 |
運営 | アコーグループ |
施設 | レストラン3つ、バー、スパ、プール等 |
フェアモントは世界的なラグジュアリーホテルブランド
フェアモントは、世界中で高い評価を受けているラグジュアリーホテルブランドです。その始まりは1907年にサンフランシスコで開業した「ザ・フェアモント」から遡ります。以来、北米を中心にヨーロッパやアジアに展開し、現在では「フェアモント・バンフ・スプリングス」や「フェアモント・ル・シャトー・フロントナック」など、歴史的価値の高いホテルも多数所有しています。
フェアモントホテルの特徴は、各地の文化や自然環境に敬意を払い、それぞれの立地に合わせた個性的なホテル作りを行っている点です。地域ごとに異なる建築デザインやインテリアの個性を尊重することで、訪れる人々にその土地ならではの体験を提供するというのがフェアモントブランドの強みとされています。また、高品質なサービスも世界中の宿泊客から高く評価されており、「ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールド」など、国際的なホテル団体の一員としても認められています。
環境保護活動や地域社会への貢献にも積極的に取り組んでおり、カナダのホテルブランドおよびホスピタリティ企業の中でいち早く世界自然保護基金の「クライメート・セイバーズ・プログラム」の目標を達成したことでも知られています。2006年には、営業活動における二酸化炭素排出量を20%削減することを約束し、これを実現しました。こうした持続可能な開発への姿勢が、フェアモントブランドの信頼と評判を築く要素となっています。
現在、フェアモントホテルは世界中に80以上の施設を展開しており、2018年にはAccorHotels(現:アコー)グループの一員となりました。アコーは世界最大級のホスピタリティグループの一つで、この統合によりフェアモントブランドはさらなる国際展開を進めています。日本への進出もこうした世界戦略の一環であり、アジア太平洋地域における重要な拠点として位置づけられています。
フェアモントブランドは**「素晴らしい場所での素晴らしい時間」をモットー**に掲げており、新しいフェアモントホテル東京でも、このブランド理念に基づいた質の高いサービスと施設が提供されることでしょう。世界各地で築き上げてきた実績と評判をもとに、日本でも独自のホスピタリティを展開していくことが期待されています。
🌍 フェアモントブランド世界展開
項目 | 詳細 |
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創業年 | 1907年(サンフランシスコ) |
世界の施設数 | 80以上 |
親会社 | アコーグループ(2018年~) |
代表的ホテル | バンフ・スプリングス、ル・シャトー・フロントナック |
環境取組 | CO2排出量20%削減達成 |
千鳥ヶ淵周辺は現在も桜の名所として多くの人が訪れる
かつてフェアモントホテルがあった千鳥ヶ淵周辺は、現在でも東京屈指の桜の名所として多くの人々が訪れる場所です。毎年春になると、桜並木が続く千鳥ヶ淵緑道は花見客で賑わい、お堀に浮かぶ色とりどりのボートが美しい景色を演出しています。平日の午後でも、ボート乗り場には順番待ちの行列ができるほどの人気ぶりです。
千鳥ヶ淵は1604年に徳川家康が江戸城の本格的な築城に着手した際に内堀として掘られた歴史ある場所です。内濠に沿った千鳥ヶ淵緑道には桜だけでなくアジサイやモミジも植えられているため、四季ごとに違った景観を楽しむことができます。最寄り駅である九段下駅を降りると、靖国神社、北の丸公園、日本武道館があり、文化や歴史を肌で感じることのできる由緒正しきエリアとなっています。
現在のパークマンション千鳥ヶ淵の1階には、桜並木に面してガラス張りのティールームがあるとのことです。一般の人も入れるのかは確認されていませんが、かつてのフェアモントホテルのティールームの面影を感じさせる空間が今も存在していることは興味深い点です。住居者にとっては、日常的に千鳥ヶ淵の美しい景色を楽しめる贅沢な環境といえるでしょう。
毎年桜の季節になると、ホテルがあった場所周辺から桜並木が続く風景を求めて、国内外から観光客が訪れます。かつてフェアモントホテルでのんびりと桜を愛でていた時代と比べると、少し喧騒が増したかもしれませんが、千鳥ヶ淵の桜の美しさは、今も昔も変わらず多くの人々の心を魅了し続けています。
また、千鳥ヶ淵周辺には屋台や露店はいっさい出ていません。コンビニも自動販売機もありませんが、ベンチはあるので、飲み物や食べ物を持参して休憩している人がたくさんいます。このような環境が、千鳥ヶ淵の上品で落ち着いた雰囲気を保っているのかもしれません。
🌸 千鳥ヶ淵の現在
項目 | 詳細 |
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歴史 | 1604年、徳川家康が江戸城築城時に内堀として造成 |
植栽 | 桜、アジサイ、モミジ |
観光スポット | 千鳥ヶ淵緑道、ボート乗り場 |
周辺施設 | 靖国神社、北の丸公園、日本武道館 |
特徴 | 屋台・露店なし、上品で落ち着いた環境 |
まとめ:千鳥ヶ淵フェアモントホテルの遺産は今も生き続けている
最後に記事のポイントをまとめます。
- 千鳥ヶ淵フェアモントホテルは1951年にGHQの要請で開業し、2002年まで51年間営業した歴史あるホテルである
- 松任谷由実の名曲「経る時」のモチーフとなったティールーム「ブラスリー・ドゥ・ラ・ヴェルデュール」があった
- 毎年春に「千鳥ヶ淵の桜が咲きはじめました」という新聞広告を出しており、季節の風物詩として親しまれていた
- ホテル閉館後も千代田区がその広告を引き継ぎ、文化の継承に努めた時期があった
- 運営していたのは百貨店業が本業の小松ストアーで、副業としてホテル経営を行っていた
- 現在の跡地には「パークマンション千鳥ヶ淵」という超高級マンションが建っている
- このマンションは三井不動産が「日本が誇れる最高グレードのマンション」というコンセプトで開発した
- 天井高3.5m〜3.9mという驚異的な高さや円形バスタブなど贅沢な空間設計が特徴である
- 著名人も多数住んでおり、価格は数億円から最高で10億円超の住戸もある
- 2025年7月に芝浦エリアに公式の「フェアモントホテル東京」が開業予定である
- 新しいフェアモントホテルは世界的なラグジュアリーホテルブランドの正式な一員として展開される
- フェアモントブランドは1907年創業で世界80以上の施設を展開する老舗ホテルグループである
- 千鳥ヶ淵周辺は現在も桜の名所として多くの観光客が訪れる場所である
- ホテルの遺品である柱時計は銀座コマツの会員制バー「KOMATSU BAR」に保存されている
- 千鳥ヶ淵フェアモントホテルの記憶は人々の心や楽曲を通じて今も生き続けている
調査にあたり一部参考にさせて頂いたサイト
- https://ameblo.jp/masami5681/entry-12664783807.html
- https://premiumhotelworldline.com/fairmont/
- https://tokyo.mport.info/inn/tokyo/tokyo23/chiyoda/fairmont_hotelna.html
- https://haute-hotel.com/fairmont-hotel-chidorigafuchi/
- https://www.higherground.co.jp/ブランドマンションカタログ/47821/
- http://www.dokidoki.ne.jp/home2/seasea/fairmont/
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