旅行の計画を立てるとき、多くの人が利用するJTB。日本最大手の旅行会社として知られていますが、「JTB」という略称が実際に何の頭文字なのか知っている人は意外と少ないかもしれません。実はJTBには100年以上の歴史があり、その名前の由来には日本の観光産業の発展が深く関わっています。
本記事では、JTBの略称の意味から始まり、その歴史的背景や創業時の目的、現在の事業内容まで詳しく解説します。旅行会社としてだけでなく、出版業や地域活性化事業など多角的に展開するJTBの全体像を理解することで、日本の旅行業界の発展の歴史も垣間見ることができるでしょう。
記事のポイント!
- JTBは「Japan Travel Bureau」の略称で、かつては「日本交通公社」という名前だった
- 1912年に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」として設立され、110年以上の歴史がある
- 創業の目的は「外客誘致」で、外国人に日本の真の姿を知ってもらうことだった
- 現在はパッケージツアーだけでなく、出版業や地域活性化事業など多角的に事業を展開している
JTBとは何の略かという疑問に答える
- JTBはJapan Travel Bureauの略である
- ビューローは「事務局」や「案内所」を意味する言葉
- 設立当初は「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」という名称だった
- 日本交通公社からJTBへの変遷は会社の歴史を物語る
- JTBのロゴや社章にも歴史がある
- JTBは長い間略称として使われてきたが現在は正式社名になっている
JTBはJapan Travel Bureauの略である
JTBは「Japan Travel Bureau」の頭文字を取った略称です。日本語に直訳すると「日本旅行局」といった意味になります。この名称は、同社の前身である「財団法人日本交通公社」の英語表記として使われていました。
独自調査の結果、JTBという略称が一般的に広く浸透したのは、1979年に放送開始されたTBSの「クイズ100人に聞きました」の影響が大きいとされています。番組内の「トラベルチャンス」コーナーでは、勝者がハワイ旅行を獲得でき、その旅行は日本交通公社のパッケージツアー「ルックJTB」に参加するものでした。司会の関口宏さんから「LOOK JTB」のカバンを渡されるシーンが印象に残った視聴者も多かったようです。
実際、JTBの略称は会社の歴史の中で長く使われていましたが、正式社名として「株式会社JTB」となったのは2018年のことです。それまでは「株式会社ジェイティービー」という社名でした。略称の方が一般的になったため、正式な社名にも採用されたという経緯があります。
この「Japan Travel Bureau」という名称には、日本の旅行を取り扱う公的な機関のような印象を与える意図があったのかもしれません。創立当初から国際的な視点を持ち、日本の観光産業を牽引してきた同社の姿勢が表れていると言えるでしょう。
世界の主要な旅行会社でも、その国や地域を代表するような名称を持つところが多くあります。JTBもその一つとして、日本を代表する旅行会社としての地位を確立してきました。
ビューローは「事務局」や「案内所」を意味する言葉

「Bureau(ビューロー)」という言葉は一般的に「事務局」「局」「代理店」「案内所」などの意味を持つ英語です。フランス語起源の言葉で、政府機関やサービス提供を行う機関を指す場合が多いのが特徴です。
JTBの前身である「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」の名称に使われている「ビューロー」も、旅行者に情報や手配サービスを提供する「案内所」「代理店」としての役割を表しています。設立当初から、外国人観光客に日本の情報を提供し、旅行をサポートする機関としての役割を担っていたことがわかります。
興味深いエピソードとして、設立初期のビューローは「ビヤホール」と間違われることもあったそうです。当時はまだ外国語に馴染みが薄かった日本社会において、観光案内所という概念自体が新しかったことを物語っています。
「Bureau」という言葉は現在も世界各国の観光関連機関で使われています。例えば、「Tourist Bureau」「Convention Bureau」「Visitors Bureau」などの名称は、観光案内所や観光局を意味する言葉として国際的に認知されています。
JTBがこの言葉を社名に採用したことは、創立当初から国際的な視野を持ち、世界標準の観光サービスを提供しようという意志の表れだったと考えられます。設立から110年以上経った現在でも、その精神は受け継がれています。
設立当初は「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」という名称だった
JTBの歴史は1912年(明治45年)3月にさかのぼります。当時「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」という名称で設立されました。設立の中心人物は鉄道院(現在の国土交通省や鉄道事業者の前身)の木下淑夫氏でした。
木下氏は「外客誘致論」を展開し、英米人たちに日本の真の実情(姿)を知ってもらうことを目的としていました。この考えに鉄道院副総裁・平井晴二郎氏が共鳴し、鉄道院の協力を得て組織が立ち上げられました。初代会長には平井晴二郎氏が就任し、木下淑夫氏も理事として名を連ねています。
設立後、ジャパン・ツーリスト・ビューローは神戸、下関、横浜、長崎など各地に案内所を開設していきました。特に長崎は上海や香港から避暑に来る外国人も多く、長崎案内所からは海外各方面に2,000通もの披露状を送ったという記録が残っています。
1913年(大正2年)には機関誌「ツーリスト」を発行し、ビューロー事業の紹介と各拠点間の連絡を密にする役割を果たしました。この機関誌は近代日本のグラフィック・デザイナー杉浦非水氏がデザインした美しい表紙で、富士山に桜草を配した五色刷りの雑誌でした。
1914年(大正3年)には海外に30カ所の嘱託案内所を設置し、活動範囲を拡大。1915年(大正4年)には東京案内所で外国人向けに鉄道院委託乗車券の販売を開始しました。これは「インフォメーションするだけで切符のお世話をしないのでは、あっ旋の完全を期しがたい」という考えからでした。
このように設立当初から、「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」は単なる観光案内所ではなく、外国人向けの総合的な旅行サービス機関として機能していたことが分かります。
日本交通公社からJTBへの変遷は会社の歴史を物語る
JTBの社名変遷は、日本の観光業界と社会状況の変化を反映しています。1912年の「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」設立から、現在の「株式会社JTB」に至るまでには、いくつかの重要な転換点がありました。
1927年(昭和2年)には事業拡大に対応するため社団法人化し、「社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー」となりました。1934年(昭和9年)には邦人(日本人)部門を強化するため、「社団法人ジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本旅行協会)」に改称。この時期に日本人の旅行需要の拡大に対応する体制が整えられました。
第二次世界大戦中には社名変更がありました。1941年(昭和16年)に「社団法人東亜旅行社」、その後「財団法人東亜交通公社」に改称されています。戦時下においては観光事業よりも国策に沿った活動が求められたことがうかがえます。
1945年(昭和20年)の終戦後、「財団法人日本交通公社(JAPAN TRAVEL BUREAU)」に改称し、新たなスタートを切りました。「国情文化の宣揚を図る」という目的から「国情文化の紹介、外客誘致を為す」と明確に変更され、平和国家としての国際親善に重点を置いた方針が打ち出されました。
大きな転換点となったのは1963年(昭和38年)で、財団法人日本交通公社の営業部門が分離・民営化され、「株式会社日本交通公社」が設立されました。同じ日本交通公社という名称でも、財団法人と株式会社という別の組織になったのです。
その後、2001年(平成13年)に「株式会社ジェイティービー(JTB Corp.)」に改称し、2018年(平成30年)に「株式会社JTB」となって現在に至ります。この間、2006年(平成18年)には事業持株会社に移行し、地域別・機能別に分社化するなど組織改革も行われました。
この社名変遷からは、国際情勢の変化や旅行需要の拡大、民営化による事業拡大など、JTBが時代とともに変化してきた歴史を読み取ることができます。
JTBのロゴや社章にも歴史がある

JTBのブランドアイデンティティを象徴するロゴや社章にも興味深い歴史があります。1916年(大正5年)、ビューロー徽章(社章)が制定されました。これは機関誌「ツーリスト」の表紙図案を依頼したグラフィック・デザイナー杉浦非水氏の作案で、「白雪を頂く富士山に帆掛舟のJTB」と表示したデザインでした。
富士山という日本を象徴する山と、帆掛舟という旅のシンボルを組み合わせたこのデザインは、外国人に日本の魅力を伝えるという設立当初の目的を視覚的に表現したものと言えるでしょう。同時期に初めての企業宣伝となるポスターも杉浦氏によって制作されました。
長い間使われたこの社章ですが、日本交通公社からJTBへの変革期に大きな変化がありました。1988年(昭和63年)10月にはCIを導入し、「JTB」の浸透に向けてシンボルマークを刷新しました。この時に採用されたJTBマークのデザインとコーポレートカラーである「ダイナミックレッド」は、「若々しく先進的な」JTBの企業イメージを表現したものでした。
「かわります。みなさまのJTBでございます。(日本交通公社からJTBへ)」というキャッチコピーとともに、新タイライン「For Your Travelife」を掲げ、大々的なキャンペーンが展開されました。これにより、「JTB」という略称が一層広く認知されるようになったと考えられます。
さらに2001年(平成13年)の株式会社ジェイティービーへの社名変更の際には、グループ経営理念を「21世紀のツーリズム発展の一翼を担い、内外にわたる人々の交流を通じて、平和で心豊かな社会の実現に貢献する」と定め、新タイライン「For Your Travel & Life~世界をつなぐ旅と心~」も制定されました。
2006年(平成18年)の新グループ経営体制への移行時には、「Your Global Lifestyle Partner」という新タイラインが制定され、2011年(平成23年)には新グループブランドスローガン「感動のそばに、いつも。」(英語表記は「Perfect moments, always」)が定められました。
これらのロゴやスローガンの変遷からは、時代とともに変化するJTBの企業姿勢や経営理念を読み取ることができます。
JTBは長い間略称として使われてきたが現在は正式社名になっている
JTBという名称は、長い間「Japan Travel Bureau」の略称として使われてきましたが、現在では正式な社名となっています。この変化は会社の歴史と日本社会における認知度の変化を反映しています。
もともと1945年に「財団法人日本交通公社」となった際の英語表記が「Japan Travel Bureau Foundation」であり、その頭文字をとって「JTB」と略されていました。1963年に営業部門が分離・民営化された際も「株式会社日本交通公社」という社名で、英語表記は「Japan Travel Bureau, Inc.」でした。
1988年にはCI(コーポレート・アイデンティティ)を導入し、「JTB」というブランド名の浸透を図るキャンペーンが行われました。これにより、正式名称は「株式会社日本交通公社」でありながらも、「JTB」という略称が一般に広く知られるようになりました。
2001年には正式社名を「株式会社ジェイティービー」(英語表記: JTB Corp.)に変更。ここで初めて「JTB」が社名の一部として公式に使われるようになりました。そして2018年1月1日には「株式会社JTB」に商号変更し、略称だったものが完全に正式社名となったのです。
この変更には2002年11月の商業登記法の改正が関係しています。この改正により登記上の商号にアルファベットを使用できるようになったため、法的にも「JTB」という社名が可能になったのです。
このような社名の変遷からは、「JTB」という略称が日本社会に広く浸透し、ブランド価値を持つようになったことがうかがえます。また、グローバル化が進む中で、国際的にも認知されやすいシンプルな社名を採用したという戦略的な判断もあったのではないでしょうか。
現在、JTBは単なる旅行会社の名前を超えて、日本の旅行文化を象徴するブランドとして定着しています。100年以上の歴史を持ち、日本人の旅の在り方に大きな影響を与えてきた会社の歴史が、この3文字の略称に凝縮されているといえるでしょう。
JTBがどのような会社なのかを詳しく解説
- JTBは日本最大の旅行会社として110年以上の歴史を持つ
- JTBの創業目的は外国人に日本の真の姿を知ってもらうことだった
- JTBは旅行業だけでなく出版業も手がけている老舗企業である
- HISやJTCなど他の旅行会社とJTBの違いを知ることが大切
- JTBの現在の組織体制は事業持株会社として多角的に事業展開している
- OTAの台頭によるJTBの変化と今後の展望
- まとめ:JTBなんの略かを理解すれば会社の歴史と強みがわかる
JTBは日本最大の旅行会社として110年以上の歴史を持つ
JTBは1912年(明治45年)3月に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」として設立されて以来、110年以上の歴史を持つ日本最大の旅行会社です。旅行業界では国内最大かつ世界有数の事業規模を持つ企業として知られています。
ユーロモニター社の集計によると、2013年度のグループ取扱額は旅行会社として世界第7位、店舗を持つ旅行会社としては世界第3位という実績があります。これは長い歴史の中で培われてきた信頼と実績の表れと言えるでしょう。
JTBの歴史は日本の観光産業の発展と密接に関わっています。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは国内入場券販売総代理店となり、約80万枚の入場券を取り扱いました。1970年(昭和45年)の大阪万博でも入場券発売や旅行者のあっ旋、会場運営に参画し、期間中1,200万人のお客様をご案内しています。
パッケージツアーの開発も、JTBが日本の旅行文化に与えた大きな影響の一つです。1962年(昭和37年)に国内向けの「セット旅行」、1968年(昭和43年)には「海外セット旅行」の販売を開始。同年には海外主催旅行の総合名称として「ルック」を発表し、1971年(昭和46年)には国内主催旅行「エース」の販売を開始しました。これらは現在の「ルックJTB」「エースJTB」の原型となるものです。
このような長い歴史の中で、JTBは単なる旅行の手配だけでなく、日本人の旅行文化の形成にも大きく貢献してきました。「旅行」という言葉自体が一般化していなかった時代から観光産業の発展を牽引し、海外旅行が特別なものだった時代にはそれを身近なものにする役割を果たしてきたのです。
110年以上の歴史を持つ企業として、JTBは時代の変化に合わせて事業を拡大・変革しながらも、旅を通じた文化交流という創業時の理念を現在も大切にしていると言えるでしょう。
JTBの創業目的は外国人に日本の真の姿を知ってもらうことだった
JTBが1912年に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」として設立された背景には、当時の鉄道院(現在の国土交通省や鉄道事業者の前身)の木下淑夫氏の「外客誘致論」がありました。木下氏は英米人たちに日本の真の実情(姿)を知ってもらうことを目的として活動していました。
この「外客誘致論」に共鳴したのが木下氏の直属上司である鉄道院副総裁の平井晴二郎氏でした。鉄道院の協力を得て設立されたジャパン・ツーリスト・ビューローの初代会長には平井晴二郎氏が就任し、木下淑夫氏も理事11人のうちの1人として名を連ねています。
創立後は本部の開設と並行して、全国各地に案内所を次々と開設していきました。1913年(大正2年)1月には神戸と下関に案内所を開設。その後、同年7月15日に横浜、8月15日に長崎と展開していきました。特に長崎は上海や香港から避暑に来る外国人も多く、長崎案内所からは海外各方面に披露状2,000通を出したという記録が残っています。
また、大正前半には海外の主要都市にも案内所網を広げました。大陸(現在のアジア)にも支部を設置し、日本国内外の博覧会会場や避暑地にも臨時案内所を開設するなど、活動範囲を拡大していったのです。
1915年(大正4年)には東京案内所で外国人に対し鉄道院委託乗車券の販売を開始しました。これは「インフォメーションするだけで切符のお世話をしないのでは、あっ旋の完全を期しがたい」という考えからでした。第一号は京都行き一等4枚だったそうです。外国人用乗車券は大型ペーパー式で和英両文で表示され、通用期間は3ヵ月と長く、いつでも途中下車ができるという特典付きでした。
こうした活動からは、単に観光案内をするだけでなく、外国人旅行者が日本を快適に旅行できるような総合的なサポートを目指していたことが伺えます。創業の目的である「外客誘致」は、単なる観光客の増加ではなく、旅行を通じて日本の正しい姿を世界に知ってもらうという文化交流の側面を持っていたのです。
現在のインバウンド観光の原点がJTBの創業目的にあったと言っても過言ではないでしょう。
JTBは旅行業だけでなく出版業も手がけている老舗企業である
JTBの事業は旅行業だけにとどまらず、出版業も手がける多角的な企業です。特に旅行関連の出版物は日本を代表するものとなっており、多くの人の旅を支えてきました。
JTBの出版事業の中でも特に有名なのが「るるぶ」シリーズです。1973年(昭和48年)に創刊された「るるぶ」は、行動的な女性向けのカラフルな表紙と誌面が特徴でした。名称は「見る」「食べる」「遊ぶ」の動詞の末尾を並べた造語で、「乗る」「知る」「学ぶ」などの旅の多彩なイメージも伝えようとしたものです。2010年には「るるぶ」シリーズが「発行点数世界最多の旅行ガイドシリーズ」としてギネス世界記録に認定されました。1984年8月から2010年11月までの旅行ガイド発行点数3,791点が世界一と認められたのです。
もう一つの重要な出版物が時刻表です。1925年(大正14年)に創刊された「汽車時間表」は、後に「JTB時刻表」となりました。2009年5月号で通巻1000号を達成した「JTB時刻表」は、日本の鉄道旅行に欠かせない情報源として長年にわたり活用されてきました。
また、1924年(大正13年)には旅行雑誌「旅」が創刊されました。創刊号は菊判で定価40銭、当時の紀行文作家・田山花袋氏の原稿が掲載されていました。「旅」は当初、日本旅行文化協会の事業の一つとして始まりましたが、後にビューローに移管されました。
さらに1913年(大正2年)には機関誌「ツーリスト」の発行も始めています。これはビューロー事業の紹介と、急速に拡大していった案内所・支部・本部間での連絡を密にするためのものでした。
これらの出版事業は、実は現在はJTBパブリッシングとして分社化されています。2004年10月1日に出版部門を株式会社JTBパブリッシングとして分社化したのです。
JTBが出版業に力を入れてきたのは、旅行に関する情報提供も旅行会社の重要な役割と考えていたからでしょう。旅行商品の販売だけでなく、旅の楽しみ方や地域の魅力を伝え、旅行文化を育てるという視点を持っていたことが、100年以上の歴史を持つ老舗企業としての深みを生み出しているのではないでしょうか。
HISやJTCなど他の旅行会社とJTBの違いを知ることが大切
日本には様々な旅行会社がありますが、JTBとHISやJTCなどの他社との違いを理解することは、自分に合った旅行サービスを選ぶ上で重要です。それぞれの会社の特徴や強みを比較してみましょう。
JTBの特徴
- 1912年創立の最も歴史ある旅行会社で、総合的な旅行サービスを提供
- 「ルックJTB」「エースJTB」など老舗のパッケージツアーブランドを持つ
- 全国に広範囲の店舗網を持ち、対面での丁寧なサービス提供を重視
- 法人向けビジネス旅行や団体旅行の取扱いが強み
- 「るるぶ」「JTB時刻表」などの出版事業も展開
- 近年は地域活性化事業やふるさと納税など多角的に事業を拡大
HIS(エイチ・アイ・エス)の特徴
- 1980年設立の比較的新しい旅行会社で、海外旅行に強み
- 「インプレッソ」「クオリティ」などのパッケージツアーを展開
- 格安航空券の販売で成長し、価格競争力がある
- 東南アジアを中心に海外拠点を数多く展開
- ハウステンボス、ラグーナテンボスなどのテーマパーク事業も展開
- 若者向けの斬新な旅行プランを提案する傾向がある
JTCの特徴
- 日本トラベルセンター(Japan Travel Center)の略称
- 特定の地域や旅行分野に特化した専門性の高いサービスを提供
- 比較的小規模だが、きめ細かなサービスが特徴
それぞれの旅行会社の違いは単なる規模や歴史だけではなく、ビジネスモデルや顧客ターゲット、得意とする旅行タイプなどにも表れています。
JTBは長い歴史と幅広いネットワークを活かした安心感と信頼性が強みです。特にファミリー層や中高年層、企業向けサービスに定評があります。一方、HISは価格競争力と若者向けの斬新な企画が特徴で、バックパッカーや若いカップルに人気です。
旅行会社を選ぶ際は、単に価格だけでなく、提供されるサービスの内容や、自分の旅行スタイルに合っているかどうかを考慮することが大切です。例えば、きめ細かいサポートが欲しい初めての海外旅行なら店舗数が多く経験豊富なJTBが安心かもしれません。一方、リーズナブルな価格で自由度の高い旅を楽しみたいなら、HISが合っているかもしれません。
また、近年ではOTAの台頭により旅行会社の役割も変化しています。JTBも含め従来型の旅行会社は、自社サイトと店舗、電話販売を関連させ、それぞれの利便性を追求したクロスチャネル販売に力を入れています。
会社の特徴を理解した上で、自分の旅行目的や予算、希望するサービスレベルに合った旅行会社を選ぶことが、満足度の高い旅行につながるでしょう。
JTBの現在の組織体制は事業持株会社として多角的に事業展開している

JTBは現在、「株式会社JTB」を中心に多角的な事業を展開する企業グループとなっています。2006年(平成18年)4月1日に事業持株会社に移行し、各事業を地域別・機能別に分社化しました。その後、2018年(平成30年)4月1日には2006年に分社化した地域会社など計20社を本社に再統合し、組織体制を見直しています。
JTBグループの事業領域は大きく分けて以下のようになっています:
- ツーリズム事業
- 個人向け旅行商品の企画・販売
- 「ルックJTB」「エースJTB」などのパッケージツアー
- 「旅物語」などのメディア型直販商品
- エリアソリューション事業
- 地域の観光資源を活用した地域活性化
- ふるさと納税事業
- 出版業(「るるぶ」シリーズなど)
- ビジネスソリューション事業
- 法人向け出張手配やMICE(会議・研修・展示会等)
- 企業の福利厚生サービス
- イベント企画・運営
- グローバル領域(訪日インバウンド事業含む)
- 訪日外国人向けサービス
- 海外拠点での旅行サービス提供
- nextender(ネクステンダー)
- 新規事業創出プラットフォーム
これらの事業を支えるグループ会社も多数存在します。例えば、JTBパブリッシング(出版事業)、JTBコミュニケーションデザイン(MICE、広告・プロモーション等)、JTBグローバルマーケティング&トラベル(訪日外国人向けサービス)などがあります。
また、日本国内だけでなく、世界各地にもグループ企業を展開しています。ヨーロッパ、アジア・パシフィック、北米・南米などに多数の拠点を持ち、グローバルなネットワークを構築しています。
近年では従来の旅行業の枠を超えた事業展開も積極的に行っています。例えば、ふるさと納税ポータルサイト「ふるぽ」の開設(2014年)や企業版ふるさと納税ポータルサイト「ふるさとコネクト」の開設(2020年)など、地方創生に関わる事業も手掛けています。
このように、JTBは単なる旅行会社ではなく、旅行業で培ったノウハウを活かした「交流創造事業」を幅広く展開する企業グループへと発展しています。グループ経営理念にも「内外にわたる人々の交流を通じて、平和で心豊かな社会の実現に貢献する」とあるように、人と人、地域と地域をつなぐ役割を担っているのです。
OTAの台頭によるJTBの変化と今後の展望
近年、旅行業界ではOTA(Online Travel Agent)の台頭が目覚ましく、従来型の旅行会社の事業環境は大きく変化しています。OTAとは、インターネット上だけで取引を行う旅行会社のことで、店舗を持たないことで低コスト運営を実現し、競争力のある価格設定が可能となっています。
OTAの強みは、24時間いつでも膨大な数の商品を閲覧・検索でき、店舗へ出向く必要のない利便性にあります。特に宿泊施設や航空券などの個別手配や、それらを組み合わせたダイナミックパッケージの販売に強みを持っています。
このようなOTAの台頭に対して、JTBも対応を迫られてきました。2000年3月には、ヤフー株式会社・ソフトバンクグループとインターネットによる旅行販売会社「株式会社たびゲーター」を設立。2000年8月にはビジネストラベル専門会社「株式会社ジェイティービービジネストラベルソリューションズ」を設立するなど、デジタル化への対応を進めてきました。
また、1996年2月には「マルチメディアステーション」を導入し、2009年に通販サイト「旅物語-JTB通信販売の旅-」も誕生させています。これらの取り組みは、変化する消費者ニーズに対応するためのものでした。
しかし、2020年に始まった新型コロナウイルス感染症の世界的流行は、JTBを含む旅行業界全体に大きな打撃を与えました。2020年11月には、グループの要員を2021年度までに約6500人削減(2019年度比)すると発表。2021年2月には資本金を22億4千万円減らし、1億円とする資本金の減資も行っています。同年9月には東京都品川区の本社ビルと大阪市中央区のビルを売却するなど、大幅なリストラクチャリングを余儀なくされました。
このような厳しい状況の中で、JTBは従来の旅行業の枠を超えた事業展開を進めています。地域活性化事業、ふるさと納税事業、法人向けソリューション事業、ソーシャルビジネス、グローバル事業などを手がけ、業界の枠を超えたM&Aや事業投資も積極的に行うなど、全体の事業ドメインを旧来の総合旅行業から「交流創造事業」に転換しています。
今後のJTBの展望としては、以下のような方向性が考えられます:
- デジタル化のさらなる推進:OTAとの競合においても対抗できるデジタルプラットフォームの強化
- リアル店舗の付加価値向上:オンラインでは提供しにくい専門的なアドバイスやコンサルティングの強化
- 法人ビジネスの拡大:MICEやビジネストラベルマネジメントなど法人向けソリューションの強化
- 地域創生への貢献:地方自治体との連携強化やふるさと納税などを通じた地域活性化支援
- サステナブルツーリズムの推進:環境や地域社会に配慮した持続可能な観光の促進
110年以上の歴史を持つJTBは、時代の変化に応じて事業形態を変えながらも、「交流創造」という理念を核に、これからも日本の観光・旅行文化を牽引していくことでしょう。
まとめ:JTBなんの略かを理解すれば会社の歴史と強みがわかる
最後に記事のポイントをまとめます。
- JTBは「Japan Travel Bureau」の略で、日本語では「日本旅行局」に相当する
- JTBは1912年に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」として設立され、110年以上の歴史がある
- 創立の目的は英米人に日本の真の姿を知ってもらう「外客誘致」だった
- 「Bureau」(ビューロー)は「事務局」「案内所」などの意味を持つ言葉
- 1945年に「財団法人日本交通公社(JAPAN TRAVEL BUREAU)」に改称
- 1963年に営業部門が分離・民営化され「株式会社日本交通公社」が誕生
- 2001年に「株式会社ジェイティービー」、2018年に「株式会社JTB」へと社名変更
- JTBの社章は当初「白雪を頂く富士山に帆掛舟のJTB」というデザインだった
- 「るるぶ」「JTB時刻表」などの出版事業も手がける多角的な企業
- 海外主催旅行「ルック」(現ルックJTB)、国内主催旅行「エース」(現エースJTB)の開発者
- OTAの台頭に対応し、クロスチャネル販売やデジタル化を推進
- 現在はパッケージツアーだけでなく地域活性化や法人向けソリューションなど幅広い事業を展開
- コロナ禍を経て、事業構造を旧来の総合旅行業から「交流創造事業」へと転換している
調査にあたり一部参考にさせて頂いたサイト
- https://www.jtbcorp.jp/jp/ourstory/110th/
- https://otonasalone.jp/190733/
- https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12287872
- https://dictionary.goo.ne.jp/word/jtb/
- https://ja.wikipedia.org/wiki/JTB
- https://www.tourism.jp/tourism-database/glossary/dmo/
- https://money.smt.docomo.ne.jp/column-detail/124057
- https://www.tourism.jp/tourism-database/glossary/ota/
- https://faq.jtb.co.jp/faqs/f6488/
- https://www.tourism.jp/tourism-database/glossary/fit/